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2015.6.7  鉢伏山 小代地区から見た鉢伏山 鉢伏山頂から小代の全体が見渡せる。すぐそこに見えるのに、そこから登ってくる機会はあまりない。麓の尼崎市立の野外活動施設からコースがあるということなので出かけてみた。 蘇武トンネルが出来てから、小代は便利になったが、奥まではなかなか来ることは無い。何十年ぶりだろうか。とちのき村ははじめてでったが、鉢伏の山体を壁にした斜面に、山奥とは思えない立派な施設が並んでいる。 石楠花公園を抜けて高丸直登コースを進む。最初の45分は崖をジグザグに登って行く。道を間違えたかと思うほど急になってきたが、何とか枝尾根の上に出た。尾根の南に回り込むと高丸が見えてくる。ようやく主尾根が見えてくるとススキの原に入り、傾斜も緩やかになる。1時間15分でハチ高原からの道と合流する。 ここからは何度となく歩いたが、来る度にエグレがひどくなる。振り返ると、先月の山焼きで真っ黒だった高丸から先の尾根は、元の草原に戻り、きれいな緑になっている。山頂直下の笹原は、少しだけスズコが残っていた。先客の小学校が2団体、山頂は賑やかだった。 下山は高丸から谷に向かって下る。途中から林道になり、トチやブナの林に下って行く。とちのき村からの声が聞こえるようになってくる、右手の森へ入り、谷を回り込んで施設のキャンプ場に到着する。高校生と思われる集団が活動していた。 帰路につく前に「八反の滝」に寄ってみた。昭和49年に鉢伏山頂にリフトで上がった大阪資生堂のグループが、ハチ高原ではなく、すぐ下に見えた備集落に向かって下り、1人を除いて滝側の斜面から落下して亡くなったという事故があった場所だ。上から見るとすぐそこに見えるが、下山に使った尾根以外は緩やかに下ってくる所はない。山容はなだらかでリフトで簡単に登れるが、決して穏やかな山ではないことは、今日のコースでよくわかった。
北但震災90周年記念行事  今年は北但震災から90年、いくつか記念行事があったが、あまり注目もされずに終わった感がする。豊岡市主催の行事では、参加者は多かったが、ほとんどが区長や行政など、声をかけられて来たと思われる人であった。  内容は開会行事の後、郷土史家の中村英夫さんの講演、昨年こうのとり戯曲賞を取った西史夏さんの「Bridge」を木野花さんが朗読、そして西史夏さんの講演であった。中村さんの講演は何度か聴いたが、いつも豊富な資料に感心したが、ご本人も言われていたが、与えられた時間が短く、かなり端折った感じかがした。その後の朗読や講演も内容としては良かった。今回の行事の中ではこちらがメインとなっているのであろうと思えた。  戯曲というものを知らない私が言うのもなんだが、「Bridge」は作品として素晴らしいものなのだろうが、「地震を語り継ぐ」にはどうかと思った。地震、火災、温泉旅館、背景としての北但震災であって、描かれたいのは主人公の人生や思いであって、極端な言い方をすれば、設定は城崎でなければならなかったのだろうかと思えた。  当時の西村町長が行った震災からの復興が現在の城崎を形作っている。まさに城崎は冬の大火災からの復興や旅館の改築など、新たな課題に取り組んでいる。豊岡では、多くの学生がボランティア活動を行い、田結地区では消火活動を優先し、圧死者は出たものの、焼死者が無かった。阪神淡路大震災の70年前に震災対応とその後についての教訓を残している。  中村さんの講演では、これらのことも取り上げられていた。これを基調講演として今後の取り組みや豊岡市としてのあり方などを検証し、市としての提言なり、メッセージを市民だけでなく全国への発信をして欲しかった。阪神淡路大震災20年の行事では、東北大震災と連携し、若者による提言なども行われた。これから地域を支える人たちの意識を高める上でも良いことだと思う。  城崎の慰霊行事や、田結地区のお百度参りという形で震災は語り継がれているものの、23号台風とは違い、体験者もほとんど存命されておらず、歴史の中の出来事という意識が強い。市の広報に今年1年間震災についてのコラムを載せる、市役所の入り口あたりに展示コーナーを置く、震災マップを作る、防災教材を作るなどなど、震災を発信する