コロナ禍のマスク

 「口裂け女」を覚えておられるだろうか。今から40年程前に流行った怪談話である。どこから始まったのかは解らないが、ゆっくりとしたスピードで各地に伝播していた。丁度教師になった頃で、我が校区にもやってきた。校区と街をつなぐ国道はお誂えのトンネルがあり、そこに登場したかと思ったら、一気にどこかへ行ってしまった。寂しげな所、美しそうな女性、マスクという組み合わせが定番だった。考えてみると、マスクなんてほとんど見かけることはなかった。

 十年ほど前から、冬になるとインフルエンザも流行っていないのにマスクをつける生徒が増えてきた。推測だが、進路をひかえた3年生が,予防のためにつけ始め、それを下級生がまね、学校中に広がったのではないかと思う。我が校だけではなかったので、高校生か塾が始めたのかもしれない。
 給食当番でもない限りマスクなどつけなかった私には、教室の半分以上の生徒がマスクをした状態で授業をするのは違和感があった。生徒が無表情に見えるのだ。口裂け女がマスクをしていたのは、裂けた口を隠すだけでなく、何となく違和感を感じさせるアイテムだったのかもしれない。
 さて、マスクが普通になった日常だが、中高生の多くがつけていない。彼らが何故つけていないのか、マスク警察のおじさんとは違った意味で気になる。医学的な意味を離れ、道徳的な意味をもったマスクに対する抵抗(そうであれば面白いが)なのか。それとも「ダサいのか」。
 今や、マスクをしないことが違和感を感じさせる世の中になるとは思いもよらなかった。口裂け女もさぞ困っていることであろう。

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